2022/06/29 00:00

陰騭録(いんしつろく)」はワタシに物の道理を教えてくれた。

とは言っても、詳しく読み深めたわけではなく、前述「稲盛和夫」さんの著書で知っただけだ。


(wikiより)
『陰騭録』(いんしつろく)とは、明代、呉江の人で、嘉靖年間から万暦年間を生き、74歳で亡くなった袁了凡(えん りょうぼん)が自己の宿命観を乗り越えて、自分から運命を創造してゆくことを悟った体験を書き記した書物である。

著者・袁了凡は代々学者の家に生まれ、幼名を「学海」といい、将来医の道に進もうと考えていた。あるとき孔という不思議な老人が家を訪れ、学海少年の将来の職業や寿命などを予言する。そして予言のとおり科挙を志す。その後身の上に起こったことがことごとく孔老人の言うとおりになっていったので、学海は徹底した宿命論者となっていた。

役人になった後に、棲霞山中に以前から教えを請いたいと思っていた雲谷禅師を訪ねる。雲谷禅師にこれまで人生の話をすると、孔老人の宿命論のままに生きようとする学海の姿勢を大馬鹿者と叱咤し、人は自らの力で立命できると語る。彼は禅師の話に強く感動し、その教えに従い、徳性を充広し、善事を力行し、多くの陰徳を積んだ。すると孔老人の予言は段々と当たらなくなっていった。寿命は53歳で死ぬと言われていたが74歳まで生き、子に恵まれないと予言されていたが一子天啓をもうけることができた。学海は「了凡」と名を改め、大きくなった息子に自分の人生を語り聞かす。

以下は深見東州氏の著作「信仰の道」より。

袁了凡は、まさに徳を積むことによって運命を改善し、造命することができたわけです。徳を積むことで天の命数が改善されたのです。これは実話です。小説でもフィクションでもありません。

以徳報徳の二宮尊徳も、常に陰騭録を携帯していたそうです。
こうした徳の話しは、江戸時代からあるようです。石田梅岩の心学などにも、そうしたものが見られます。
尊徳翁も著述には仏説の「徳」概念の方が多いようですが、確かにこれを学び、ひたすら徳を積むことによって運命を改革し、幸せになろうと努力されました。陰騭録は、日本の道徳にも大きな影響を与えているのです。(wikiおわり)


この学びの中で、稲盛和夫さんは、「運命」「立命」について解説された。

「確かに人間には運命というものがあります。運命は決まっていますが、それは宿命ではありません。運命は前世の行いによってきめられているものですが、それは現世の努力で変えられるものなのです。それが立命です。自分の人生を創造的に生き、修行をしなさい。善きことを思い、思いやりの心を持ちなさい。そうすれば、あなたの運命は変るのです」

とても考えさせられる一文だった。

そして「陰騭録」は忘れることなく、折に触れ思い出し、私の考えを改めなおすことがよくある。